結城豊太郎(1877-1951)大蔵大臣

 明治10年(1877)東置賜郡赤湯町の酒造家結城弥右衛門、たかの長男として生まれる。明治25年(1892)、山形中学(現山形東高)に入学。明治32年(1899)、二高を経て、東京大学政治学部に入学。明治37年(1904)日本銀行につとめる。二年後、ニューヨーク代理店勤務。大正7年(帰国して京都支店長、ついで名古屋支店長を経て大阪支店長となり、第一次大戦後の恐慌期に活躍。大正10年(1921)安田銀行副頭取に迎えられ、安田財閥の中心的存在となって、日本経済興隆期のリーダーのひとりとなる。昭和5年(1930)日本興業銀行総裁となる。昭和7年(1932)赤湯町上水道設置のため尽力。昭和12年(1937)1月、日本商工会議所会頭。2月、林内閣の大蔵大臣。山形県では2人目の大臣。7月、内閣総理大臣やめ、日本銀行総裁となる。また、大蔵省顧問や内閣顧問として困難な戦時経済につき助言。昭和26年(1951)75才で没。南陽市立結城豊太郎記念館パンフレットより要約)