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戦国から江戸初期にかけて活躍した大名。出羽国山形城主。父は山形城主最上義守。1558年(永禄1)元服,足利義輝の諱(いみな)の1字を賜り義光と名のる。71年(元亀2)家督を相続したが,父義守,弟中野義時と和せず,74年(天正2)伊達輝宗の干渉侵攻を結果した。翌年義時を殺害し,ついで上山,天童,東根などの一族を討滅し,81年真室城主鮭延秀綱,新庄城主日野左京亮を服属させ,84年谷地城主白鳥長久を謀殺,寒河江城主大江尭元を滅亡させて,最上・村山両郡を掌握した。他方1583年には庄内の尾浦城主武藤義氏を攻殺したが,のち越後上杉方のために庄内を奪われた。90年豊臣秀吉から本領を安概され,翌年雄勝郡を与えられた。関ヶ原の戦の際の功により,1601年(慶長6)徳川家康から庄内三郡と由利郡を与えられた。14年山形において死去した。 |
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