三島通庸(1835〜1888)初代県令

  三島通庸は1835年(天保6)6月1日に薩摩藩士三島通純の長男として生まれる。1871年(明治4)東京府権参事となる。銀座から京橋にかけての銀座通りに煉瓦作りの洋風の町を建設。1874年(明治7)酒田県令となる。三島には、ワッパ騒動を鎮圧する指名と共に、騒動をおこす原因をつくった旧鶴岡藩士である酒田県官を抑え漬けるという任務が課せられていた。
1875年(明治8)酒田県を廃し、鶴岡県を置く。1876年(明治9)府県の数が47に整理され、置賜県・鶴岡県・山形県の3県。現在の山形県の姿となる。初代県令に任命される。県庁舎建設、山形市街整理、県内主要道路の開発を行う。1882年(明治15)福島県令となる。1883年(明治16)栃木県令となる。1884年(明治17年)内務省土木局長となる。1885年(明治18年)警視総監となる。
1888年(明治21)10月23日亡くなる。享年54歳。