皆川睦雄(1935−2005)
 

1935年7月3日米沢市生まれ
米沢西高(現米沢興譲館高等学校)卒業
1954年南海に入団
オーバースローからサイドスローに転向し、1957年18勝、1958年17勝、1962年には19勝を上げる。

シンカーとスライダーを武器に投手陣を支え、1968年には31勝を上げ、最多勝利投手となる。
以後、年間30勝投手は誕生しておらず「最後の30勝投手」と言われている。

通算成績221勝139敗 防御率2.42
引退後、阪神・巨人・近鉄のコーチを務め、その後野球解説者を長年にわたり務め、野球評論家の傍ら、少年野球の指導にも力を入れた。
2005年2月6日
敗血症のため死去、享年71(69歳没)

米沢市と山形県ではプロ野球選手としての功績と引退後の郷里山形への尽力をたたえ
2005年米沢市民栄誉賞。
2006年山形県県民栄誉賞を贈呈。

米沢市営球場の名称を「皆川球場」とした。



米沢市営球場「皆川球場」