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佐藤政養(まさやす)、1821年(文政4年)、遊佐町升川に佐藤与兵衛の長男として生まれる。幼名は与之助。酒田の医者伊藤鳳山と真島佐藤治のもとで学ぶ。1940年/20歳、庄内藩転封のため江戸へ行き、武士の力がおとろえている日本の現状を知る。黒船が来襲した1853年(嘉永6年)33歳、江戸へ出て、木貫助のもとで西洋流の砲術と練兵術を学ぶ。翌1854年には勝海舟の塾に入り、教えを受ける。さらに長崎海軍伝習学校にてオランダ人から天文・測量・航海術等を学ぶ。勉強家で努力家である彼は一目置かれる存在となり、1860年(万延元年)勝海舟が渡米した際には、塾の留守役を命ぜられるほどであった。また、横浜開港建言を提出、幕府よりこれが認められた。よって彼は横浜港の生みの親ともいわれる。
維新の後、政府の役人となり、貿易や鉄道の重要性を主張。二年後には鉄道敷設の責任者となって大阪・神戸を結ぶ鉄道を開通させた。1872年、鉄道の人材養成に関して建言。偉大な功績を残し1877年、56歳で死去。 |
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