雲井龍雄(1844〜1870) 米沢藩出身
幕末に活躍した憂国の士。中島惣右衛門の次男で幼名猪吉。のち小島才助の養子となり小島辰三郎を名乗る。雲井龍雄は彼の最も知られた変名。幼少から秀才として知られ、興譲館に通って、その書籍を読み尽くしたともいう。
当時の興譲館が朱子学一辺倒だったことから反骨精神旺盛な龍雄は講義に出席しなくなり、甘粕継成の好意で蔵書を借り出して勉強していた。結局、興譲館からは放校処分とされてしまった。高畠で仕事をしながら漢詩を作っていたが、江戸勤務となり安井息軒の塾で頭角をあらわす。その後、藩命で京都にて工作活動に従事。長州・土佐の志士と深く交流していた。戊辰戦争に突入すると「討薩の檄」を作って薩摩藩の野望を批判した。戦後、上京して意見書を提出するが明治政府に取り入れられず、新政府に不満をもつ人々を集めて密議を行った。このため内乱罪で逮捕され、小塚原で斬首された。享年27歳。
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